ワールドカップ!
Jリーグ史上最高の外国人選手であり、ユーゴスラビア代表並びにセルビア史上最高の選手の一人とされる、ピクシーことドラガン・ストイコビッチのスーパープレイ集動画です。
名古屋グランパスエイトに入団したのは1994年。雨の中のリフティングドリブル、天皇杯での超絶フェイントでのゴール、監督になってからの革靴シュート……数多の素晴らしいプレーを魅せてくれたピクシーですが、全盛期と云えば、史上最強であったACミランを翻弄した1988年から、スペイン戦の2ゴールで大ブレイクした1990年のイタリアW杯あたりではないでしょうか。とにかくそのキレとスピードは桁違いでした。
以下、ストイコビッチへの賛辞になります。
「ロマーリオ、ロベルトバッジョ、ストイコビッチは世界最高の選手だ」
ペレ(1994年当時の発言)
「ピクシーは攻撃面のすべてにおいて、あの世代の中では世界のトップレベルにあった。ベルカンプよりも総合力ではピクシーのほうが上だと思う」
アーセン・ベンゲル
「ストイコビッチは世界でも最高の才能を持った選手。数年後にバロンドールを獲らなかったとすれば、それは何か手違いがあっての事だろう」
ベッケンバウアー
「こんな天才がいたと思わなかった。テクニック、広い視野すべてにおいて突出している。通常、閃き型の選手は守備は下手だが、想像以上にディフェンス能力も高かった。」
ドラガン・ジャイッチ(ユーゴスラヴィアの英雄)
「ピクシーとプラティニには大きな共通点がある。とにかく視野が広かったこと、そして試合の流れを読む力を持っていたことだ。ピクシーが生まれつき、この才能を持っていたからこそ、ブラティニに憧れ、共感を覚えたのだと、私は思っている」
ジーコ
「相手の10番がものすごかったが…何とか勝てた」
マラドーナ(イタリアW杯での、ユーゴ対アルゼンチン後のコメント)
「ストイコビッチがブラジル人だったら間違いなくブラジル代表の10番をつけていたことだろう」
ドゥンガ
「彼のような選手は見たことがない。判断力が速すぎる!」
ミシェル・プラティニ
「技術が高いだけでない。ピクシーは人を動かして、自分も動ける。彼はセルフィッシュではなくいコレクト(正しい)な選手だった」
オシム
「本物のロングパスを出せる稀有な存在だ」
ギュンター・ネッツァー
「我々の時代の最も才能のあるプレーヤーの一人でした、彼はすべてを持っていました」
パンチェフ
「日本人なら、そんな俺でも認める10番がいたのを知っているだろう?」
サビッチェビッチ(バッジョにも10番を譲らなかった際についてのコメント)
「ユーロ2000で本物のパスを出せるのはストイコビッチとハジだけだ」
ヨハン・クライフ
「ピクシーは怪我がなければ世界最高選手になっていただろう」
ミハイロビッチ
「彼は旧ユーゴスラビアの歴史において、最も完成度の高いプレーヤーだった。怪我のせいで世界のトップレベルのクラブで力を発揮するチャンスを奪われてしまったのは非常に残念だ」
スボニミール・ボバン
上記のボバンとミハイロビッチが語ったように、膝の大怪我がストイコビッチのキャリアを狂わせます。
ピクシーは言っています。
「当時、僕の前を独走するような飛びぬけた選手はいなかったから、バロンドールも夢じゃなかったけど、怪我によって叶わなかった」
引退も考えたという膝の怪我は3度の手術を要し、さらに10番として迎え入れられた強豪マルセイユの八百長問題(2部降格)、祖国の内戦で国際大会からの締め出し等、日本に来るまでの3年近くは苦しいものでした。その儚さがストイコビッチの美しさを際立ててる気もしないでもないのですが、怪我を負わず、祖国が分裂していなかったらどうなっていたのか、サッカーファンがふと考えてしまう事でもあります。
マルセイユがチャンピオンズリーグ決勝で、所属していたレッドスターと対戦した際、ベンチスタートであったストイコビッチに対しレッドスターの面々は口々にこう言っていました。「ピクシー出場したら我々は負けていたと」。
希代のファンタジスタこと、ストイコビッチの素晴らしいドリブルにパス…アイデアに満ち溢れた全盛期のスーパープレイ集をご堪能下さい(動画には選手後期のプレーも含まれています)。
【ストイコビッチ・タイトル】
♦ユーゴスラヴィア年間最優秀選手:3回
♦1990年ワールドカップ・ベストイレブン
♦マルセイユ歴代ベストイレブン(クラブ創設110周年)
♦Jリーグ最優秀選手:1回
♦Jリーグ・ベストイレブン:3回
♦レッドスター”聖人” (人格・人気・実力を兼ね備えた選手に贈られるクラブの称号。在籍わずか3年の24歳の受賞は極めて画期的なこと)
*ルーニーに破られるまで、ユーロでの大会最年少ゴールを記録していました。
0:00 オープニング
0:27 ACミラン戦でのゴラッソ
0:39 スキル集
1:32 世界的に知らしめたW杯でのゴール
1:41 スキル&ゴール集
5:56 カントナへの鮮やかなアシスト
6:28 ゴール集
7:21 フリーキック集
【おすすめ動画】
♦サビチェビッチ 憎たらしいほど上手かった天才のドリブル!ACミラン ゴール&スーパープレイ フリーキック【海外サッカー】⇒https://youtu.be/PTEJLP_GuQA
Драган Стојковић
Dragan Stojković
ASIAN KUNG-FU FOOTBALL
#ストイコビッチ #スーパープレイ #ワールドカップ #サッカーゴール #ドリブル #ファンタジスタ
1990年のワールドカップでの素晴らしいプレーに惚れた身としては、名古屋移籍時(1994年)の新聞とうの扱いの小ささは少々寂しく感じたのを覚えています。その後のJリーグでの活躍は言うまでもないですが、日本在籍中にアーセナル、パリ・サンジェルマン、アトレティコ・マドリードとうから移籍の打診があったそうです【おすすめ動画】サビチェビッチ 憎たらしいほど上手かった天才のドリブル!ACミラン ゴール&スーパープレイ ⇒https://youtu.be/PTEJLP_GuQA
あなたが名古屋に来てくれて、あなたが名古屋を率いてくれて感謝です
ストイコビッチが日本に来ると知ったとき、マラドーナやルンメニゲのような兄弟が来るいつものパターンなのかと思ってたから、本物が来てビビった。日本に来た最初のころ、レッドカードばっかり貰ってたから、人生観が変わって別人にでもなったのかなと疑った。代表の映像は見たことあるけど、クラブチーム時代の映像は本当に貴重だと思う。
ヨーロッパで傷つき、疲れ果てたピクシーが日本にやって来たのは偶然ではあったけど、名古屋の地で完全復活した姿を見せてくれたのは幸せなことだったと思う。
ユーゴ代表不動のキャプテンとして98W杯、EURO2000で輝いた名古屋の誇り。
グランパスのみならず、ユーゴ代表の象徴かつ救世主だった。
普段Jリーグでプレイしていたから凄く見えたのではなく、世界の舞台でもJリーグの時みたいに相手を翻弄していた姿はドラガン・ストイコビッチという選手の偉大さを改めて思い知らせてくれるに思う。
3:14
当たり前だけど、ジダンもプラティニもモウリーニョも彼の凄さは知ってるんだよね。
ドリブルめちゃカッコいいし、キックフェイントとヒールパスが芸術的なんだよ。怪我が無かったら絶対日本には来てなかった。
サッカーやってた頃、中盤の真ん中やる事が多かったけど、散らし専業だった。
ドリブルでガンガン行ける人が正直羨ましく、カッコいいと思ってた。
世界王者になれたはずの旧ユーゴ代表の10番と監督が、発展途上だった日本に来てくれたことで、間違いなく日本サッカーの成長に貢献したと信じています。
サビチェビッチとはまた違うエグさ
まさに伝説の10番になるための要素は
全て兼ね備えていた男。
運が少し足りなかっただけで
実力は足りていた。
あのサビチェビッチが10番を譲った男
ピクシー、ディキ、プロシネツキ等当時のユーゴは夢があって興奮させてくれた
本当に戦争が憎い
最高のファンタジスタ!永遠に私の憧れです
ストイコビッチに日本代表監督になってほしいと思い続けます。
若き日のオシムさんも監督としてユーゴを率いてかっこいい
オシムが監督の時のユーゴ最強説、あると思います!
ストイコヴィッチのプレーは観てて飽きない。マルセイユ時代の映像でピクシーのアシストからゴール決めたカントナがカンフーキックになってるね。
パスも上手いしドリブルも上手い
1:35シュートブロックに入ったスペインのマルティン・バスケスが間抜けに見える
00:13 オシム監督いるね
クッソ上手ぇ!以外の褒め言葉が見つからない
あのカントナが、最もプレーし易かった選手に選んだピクシー
バッジョにも10番を譲らなかったサビチェビッチが8番を着る羽目になったピクシー
セリエAでフリーキックでハットトリックを達成したミハイロビッチが、フリーキックでボールを譲るピクシー
旧ユーゴの選手は日本のメディアでのインタビューでは必ず、まず日本にいるピクシーに挨拶を。。というフレーズからスタートさせるピクシー
納豆をセルビアに輸入させようと画策するピクシー
引退したら即セルビアのサッカー協会の会長になってしまうピクシー
そんなドラガン・ストイコビッチの全盛期を日本で生で見れた。。
ACミランの10番(サビチェビッチ)とレアル・マドリードの10番(ミヤトビッチ)を擁していた当時のユーゴスラビア代表で、背番号10をつけていたのは名古屋グランパスの10番でしたよね。
こうなんて言うか、昔の荒い映像でもボールを持ったら誰だか分かる選手ってそう多くない
サッカー知らないときは気性の激しい外人だなと思ってたけど、サッカーわかるようになったら憧れの選手になった。
グランパスの晩年に履いていたルコックのスパイクが欲しくて親にお願いした思い出があるな
倒れないんだよなぁ。執拗にマークされても、タックルされても、倒れないんだよなぁ。
BGM無しでボールを蹴ったときの音を聞きたい。特にFKで直接ゴールを狙うときとCKの時は音だけで他の選手との違いがハッキリとわかる。
ストイコビッチって本当にマルセイユで
膝の大怪我してなかったら、世界クラスのレジェンドになるって言われてたからな。
当時はミシェル・プラティニよりも才能は上じゃないかと言われてた。
そんな選手の全盛期に近いプレーを日本で見れたんだから幸せだよ。
世界のサッカーシーンにとっては不幸だったかもしれないが。
80年後半のレッドスター時代、当時最強のACミランをほぼ一人の力でボコボコにしてました。
90年代初期のマルセイユ~名古屋の初期は大スランプでしたがベンゲルが就任して復活しました。
ヨーロッパ復帰の話もありましたが日本に残ってくれた事は幸福な事でした。
その後もセルビア代表でドイツを破ったりとwカップでも活躍してました。
今は監督をされてますが、いつか日本代表の監督になってくれるかも。
惜しかったのは92年のユーゴスラビアが消滅してeuroに不参加でした。
(代役のデンマークが優勝)
代表メンバーが物凄く豪華でした。
勿論、ストイコビッチも10番でエースでした。
そのユーゴスラビア代表を見れないのは凄く残念でした。
今でもストイコビッチが来日、どうやら名古屋と契約するって報道を見たときの驚きは忘れられません。90年ワールドカップでマラドーナ目当てで見た大会が、マラドーナ以上のインパクトを残したユーゴの10番が来るのかよって本当に興奮しました。
旧ユーゴの解体で、ユーロ92は大本命が出場取り消し、クラブのマルセイユは八百長問題、本人のケガと相当悲惨な時期だったと思う。そうじゃなければ、日本には絶対に来ないレベルの選手でしたので。
地元のグランパスに来てくれたことは、本当に感謝です。
ポイチの次の代表監督に推したいです。
ピクシー日本に来てくれてほんとにありがとう
代表の10番だし
外見も良いし
奥さんも綺麗
かっこいい
PIXYが世界一のファンタジスタ😆
コイツかジダンが史上最高のMFだと思う。 なんで名古屋に来たのか不思議だった。ヒールパスなんて芸術だ。
あのスペインの至宝、イニエスタが神戸に!!
世界ランク1位のベルギーのフェルマーレンが日本に!!
と言われてるが、
旧ユーゴスラビアの現役10番がいたんだもんな。
神戸サポだがピクシーの神戸最終戦を見に行った。
まさに妖精。。
94年アメリカ大会の不参加が本当に残念だ。
今でも幻のユーゴ代表が優勝していただろうと信じている。
ユーゴスラビアはW杯もしくはEUROでチャンピオンになれたはず。内戦さえなければマラドーナの次にストイコビッチの時代だった。
あなたが名古屋に来てくれて、あなたが名古屋を率いてくれて感謝です
歴史にタラレバはない。
ピクシーが次代のマラドーナになることは、ついになかった。
でも、俺たちは彼がJに刻みつけた「タラレバ」ではない7年間を知っている。
あのプレイの数々は、日本サッカー史の宝だ。
学生時代に瑞穂でピクシーとベンゲルに握手してもらえた
生で観るプレーはマジで凄い
あの深い切り返しで相手が尻もちどんだけつかされてたか(笑)
俺の中では世界最高の選手です!!
ピクシー日本に来てくれてほんとにありがとう
この時期のユーゴスラビア代表のメンバーエグい
そら、革靴ボレーなんて楽勝だわなw
’90ワールドカップでのストイコビッチのプレーは圧巻でした。間違いなくJリーグに来た外国人の中で断トツのプレーヤーです!
フリーキックでピクシーとミハイロビッチが並んだら詰んだと思うわ。
90年W杯ではマラドーナより上手いプレイヤーでした
昔のサッカー界は、魔術師や魔法使いや妖精やファンタジスタや職人(唯一人間)達が居る異世界のお話でしたね。今はそういった世界観じゃなく「マシーン」的な能力が評価される世界になってしまった。
あなたが名古屋に来てくれて、あなたが名古屋を率いてくれて感謝です
これが世界最高峰レベルの選手か…凄いしか言いようがないよ
ピクシー日本に来てくれて名古屋に来てくれてありがとう!また何かしらの形で戻って来てくれたら嬉しいです
肉弾戦でもタトゥーでもなく サッカーはやはり足技で魅了してもらいたい
どこにいてもピクシーはピクシー。相手が誰でもプレーにかわりなく、やりたい放題で美しい。信じられるか?この選手が全盛期に日本にいたんだぜ
ボールを持った時は、南米のマラドーナやジーコよりも周りが見えている感じがするなあ
確かグランパス低迷期にベンゲル監督が入って一番驚いたのがサブにピクシーがいたことだったみたい。
ワールドカップのスペイン戦、アルゼンチン戦を見て、ストイコビッチに夢中になった。今でも、自分のなかでは歴代ナンバーワンに好きな選手。
全盛期にビッグクラブで本領発揮出来ていれば間違いなくバロンドール候補筆頭。
最高の選手であり日本のサッカーを発展させた功労者です。
サビチェビッチが、ピクシーに10番を譲ったことに対しては、サビチェビッチ本人は、ピクシーは国の伝説の選手なんだよ。それだけだ。と一言言いました。
ヒールパスの精度と射程距離がエグい
サッカー選手だから怪我は付き物だとしても、内戦での制裁による出場不可は、本当に残念でしたね。
もし旧ユーゴが問題なく存続していたら…との妄想は、当時世代のサッカーファンならみんな考えたと思います。92年・94年W杯・96年・98年W杯の国際主要大会の歴史は、変わっていたかもしれない。
ミランやドイツやスペイン相手にもJリーグでやってたのと遜色ないプレイしてんのがスゴすぎる。
現在でも、ここまでテクニックに優れた選手は見当たらないな
視野の広さ、ボディバランスも凄すぎる
史上最高のサッカー選手は誰かと聞かれたら迷いなくストイコビッチと答える
ペレ、クライフ、プラティニ、マラドーナ、ジダン、メッシ、確かに素晴らしい
でも彼ほど常にプレーで魅せることを意識した華のある選手は他にいない
初めて見てから25年間ずっとそう思っている
あのフリットが崩れ落とされるのにはビックリ!
何よりクロスやパスが柔らかくて受け手に優しい!
Jリーグ史上最高の外国人選手だと思う
華麗なテクニックという言い回しが最も似合う選手だったと思う。
Jリーグの海外選手で一番好きな選手だったなぁ。
ヒールキックが美しい。
縦に早いドリブルも素晴らしいが、テクニックと駆け引きで抜くドリブルサイコー!!!
それにしてもダイレクトシュートの上手いこと。
そりゃボックス内で浮き球来たらDFは飛び込むよな。
こんなスーパースターをJリーグで観れたことは幸せだった。
jリーグ相手だから無双だったんだろ?
と思ってたけど世界相手に無双してて感動。
サビチェビッチの誕生日の日の試合に10番を譲ったエピソード好き!