ワールドカップ!
この度はリクエストをいただいた中から、
動画を作成させていただきました。
リクエストをしてくださった方、
ありがとうございます。
今回は、2011年W杯を制覇し、
日本中に感動を与えた
なでしこジャパンについて語ります。
なでしこジャパンの概要から、
その戦いの軌跡までを・・・
ぜひご覧ください。
〈目次〉
00:00 オープニング
00:50 なでしこジャパンについて
02:35 澤穂希と佐々木則夫
08:41 2011年ワールドカップ
15:24 エンディング
〈主な参考サイト〉
https://kotobank.jp
https://www.jtb.co.jp
https://www3.nhk.or.jp
https://number.bunshun.jp
https://dogatch.jp
https://www.shiruporuto.jp
https://www.news-postseven.com
https://news.livedoor.com
https://www.bizcompass.jp
https://diamond.jp
https://allabout.co.jp
https://ameblo.jp
https://ja.wikipedia.org
https://www.soccer-king.jp
https://sportiva.shueisha.co.jp
https://www.nikkei.com
https://sports.yahoo.co.jp
https://www.afpbb.com
https://getnews.jp
https://www.excite.co.jp
https://www.soccerdigestweb.com
https://www.football-zone.net
#ゆっくり解説 #ゆっくり #サッカー
#なでしこジャパン #澤穂希
震災後のこれからどうなるか不安だった日本人 なでしこジャパンの活躍に沢山人が勇気づけられましたね あの時は何というか光とか希望みたいなものを感じて胸いっぱいになりました
「永遠の背番号10」がこれほど似合う人を他に知らない
この先、日本サッカー界で永遠に語り継がれる偉業だと思う。当時まだ小さかったけど“世界一”ってだけでめちゃくちゃ興奮した。
ネットでは澤のドリブルが上手すぎるせいで若干ネタにされがちだけどw
決勝戦の日、地方にサッカー合宿に行ってて、朝早くから決勝戦があって、コーチの携帯で見てたけど、澤選手の延長戦の同点ゴールの瞬間眠気がぶっ飛ぶくらいチームメイトと叫んだのを今でも覚えてるw
はじめに断りを入れて選手やスタッフ全員を尊重してるの大好きです
決勝のアメリカ戦忘れられないわ 延長後半これは負けると思ったら澤の意地の得点、岩清水の頑張りからの退場、海堀の魂のセーブ
なにかがおこってるとしか思えなかった。
ついでに、なでしこの愛称がついた頃になるけど澤に握手してもらった
これが無かったらプロリーグが誕生する事が無かったと言えるぐらい大きかった。
澤以前・以降で大きく変わった。
日本とアメリカは特徴を異にした
双璧という感じだったけど、唯一、澤のタレント性が規格外だった。
もうそんなに前のことなんですね。
その頃は震災の被災地にいたので、
まさに元気を貰った気分でした。
それにしても、本当にギリギリの
戦いを勝ち抜いたのですね。
最近は少し人にサッカーの話をできるようになってきました!
これからも楽しみにしてます!
当時は興奮したなあ、明らかに実力はアメリカの方が上だった。
まさか終了間際にヒールでゴールに突き刺さるとは・・・
ホント粘りで奇跡を引き寄せた試合だった。
無茶苦茶覚えてますねー
なでしこ優勝の日は祖母の葬儀の日で私もそうですが父や親戚の叔父や従兄弟が通夜の後ついついサッカー中継を明け方近く迄観てた為かみんな眠かったという当時の記憶が強いです
因みに祖母は100歳での他界だったので寂しくはありましたが大往生で悲壮感はありませんでした
2011年女子W杯は決して忘れることができない大会です。
決勝戦、PK戦の前だったと思いますが佐々木監督が円陣を組むと笑顔で選手に話しかけていました。そのときは『こんな時になぜ笑ってられるんだ?』と違和感を感じましたが選手も笑顔でプレッシャーですら楽しんでいるようでした。本当に強いチームとはプレッシャーを楽しみ、力に変えることができるチームだと感じました。
ちなみに澤穂希さんが府中のフロクFCに所属していましたが後輩が川崎フロンターレの中村憲剛さん。
憲剛さんは「今でも気軽に声をかけることができない。」と話していました。
澤穂希さんは偉大だと思った瞬間でした。
決勝戦アメリカが延長前半に決められてやばいと思いましたでも澤穂希選手が決めてくれよっしゃーと思いましたでも今はサッカーは男子しか見てませんけどあの試合は東日本大震災の復興に大きな勇気になりましたね
2大会連続W杯決勝は凄い。
なお2回目…
311で日本中が暗いムードだったけど、なでしこJAPANが頑張って優勝してくれたことで、日本に感動と希望の光を与えてくれたことは忘れられない
澤さんもそうだけど、皆良い選手だったし日本人として誇りに思った
あと、個人的になでしこJAPANで印象に残ってる選手はボンバー荒川ですね(笑)
当時リアタイで見てたときは興奮しかなかったけど、時間が立つにつれて感動に変わっていくんだよな
女子とはいえ、まさか自分が生きてるうちにあのワッペンをユニホームにつけれるとは(´;ω;`)ウッ…
北京五輪で4位となった後のドイツ大会。GL突破は勿論、トーナメントで1勝~ベスト4(6試合観たい)に入れれば、と臨んでました。
振り返るとアメリカとの決勝はもう生涯最高の一戦となりましたね。
#C大阪のルヴァン杯優勝は‥長居の悲劇や天皇杯決勝敗退があるからか、ようやく‥ホッとした印象。
正直2011しか見てないけど、あの時のなでしこメンバーほぼ全員分かる。
それぐらい華があったし衝撃だった
土壇場での沢のゴールと海堀のスーパーセーブは今も覚えてます。2011年の沢の年間最優秀選手は妥当だなと思いましたね。
澤が2011年に受賞したのはバロンドールじゃないですよ。
2011年のバロンドールはFIFA最優秀選手賞と統合されてた時期ではありますが、
バロンドールは男子の世界最優秀選手賞の事であり、
女子のそれはFIFA女子最優秀選手賞です。
写真でも澤が持ってるトロフィーはバロンドール(Ballon(球) d’Or(黄金の))では無いですし。
現在は世界最優秀選手賞とバロンドールはまた分かれてしまってます。
2018年からはバロンドール・ガーラ(女子バロンドール)が新設されてますが、
2011年の澤の分が遡って受賞歴に数えられている事はありません。
ちなみにカンピオナート・ブラジレイロの年間最優秀選手賞はBola de Ouro(ボーラ・ジ・オゥロ)と言い、
直訳すると「黄金の球」でありバロンドールのそれと同じです。
(ベストイレブンはBola de Prata(ボーラ・ジ・プラッタ、銀の球))
アーセナル、バイエルンと、なでしこ選手のビッグクラブ移籍凄いなと。
優勝も見事だったけど、澤穂希のセンターハーフなのに得点王は凄い‼
この大会は試合毎にヒロインが入れ替わってたな。それだけチーム一丸でまとまってた。只、澤のカリスマ性は図抜けてたな。